新宿区成立70周年記念式典

2017年03月15日

  本日は、落合南長崎駅頭にて区政レポートを配布しました。   予算委員会などあり、この駅では約1ヶ月ぶりになってしまったので、見知りの方に「久しぶりだね。継続は力ですよ。」とチクリ。   見られていることを改めて感じ、朝から身の引き締まる思いです。     10時から、新宿文化センターにて、「新宿区成立70周年記念式典」に出席しました。   新宿区は、昭和22年3月15日、旧四谷・牛込・淀橋の3区が統合して発足しましたが、この名称は歴史的な由来のほか、新宿御苑や新宿駅が全国的にも有名であり、普遍的であるとして採用されたものです。 現在の新宿区は昭和22年3月15日に、かつての四谷・牛込・淀橋区が統合して成立し、四谷、牛込の両区は、明治11年、東京府15区のうちの区として誕生していましたが、淀橋区は、まだ豊多摩郡の中で淀橋町、大久保町、戸塚町、落合町に分かれていました。 市街化が進むにつれ、この4町の人口が、大正9年と比較して昭和5年には62%の伸びを示すようになり、市部と郡部の行政格差が目立つため、市部併合運動が起こり、昭和7年10月、前記4町が併合してできたのが、淀橋区です。 このころになると新宿駅周辺は百貨店、映画館、劇場、カフェーなどがひしめき、明治以降、山の手の繁華街として有名だった四谷、神楽坂にとって替わる一大繁華街に変ぼうを遂げていきました。 昭和20年5月から8月にかけての東京大空襲は本区の様相を一変させてしまい、戦前華やかだった新宿駅周辺、四谷、神楽坂、高田馬場も焼野原となり、大部分の地域が焼失してしまいました。 戦災前、旧3区の戸数は6万3295戸を数えていましたが、戦時中の建物疎開や戦災で5万6459戸を失い、6836戸を残すのみとなり、人口も戦前は約40万人近くありましたが、終戦時には約7万8000人と減少してしまいました。 こうした混乱の中から、復興への歩みを一歩一歩踏みしめていき、民主主義国家を目ざした憲法の改正、これに伴う地方自治制度の諸改革が行われ、昭和22年3月に当時の四谷・牛込・淀橋の3区が統合し、新しい「新宿区」が誕生したという成り立ちです。     区の歴史を改めて感じつつ、更なる発展のため、私も全力を尽くしたいと思います。   記念公演は、鶴賀一門の新内節浄瑠璃、立方は西川古柳座の皆さんの素晴らしい舞台でした。   次いで、三遊亭金馬師匠の「阿武松」を聴き、江戸消防記念会の木遣りでの締めとなりました。   あいにくの天気でしたが、とても多くの人出で、式典は大盛会でした。    

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